「二割司法の解消」データドリブンな挑戦 ― 弁護士ドットコムが実践するABテスト戦略とその成果
「法律問題に直面したとき、どこに相談したらいいか分からない」「弁護士への相談は敷居が高い」
―― こうした声は日本社会に根強く存在します。法的支援を必要としながらも、複雑な法律の世界に足を踏み入れることに躊躇する人々は少なくありません。このような課題を「二割司法」と呼びます。「二割司法」とは、多くの人が費用や弁護士の探し方の不明さから相談できず、弁護士に相談するのは全体のわずか2割にとどまっている状況のこと。この課題に真正面から向き合い、テクノロジーの力で解決しようとしているのが弁護士ドットコム様です。
2005年の創業以来、オンラインでの弁護士検索から、無料法律相談サービスを提供し、専門家をもっと身近にすることを推進してきた同社。国内最大級の無料法律相談ポータルサイトとして、多くのユーザーと弁護士をつないできた実績を持っています。しかし、デジタル環境の急速な変化やユーザー行動の多様化に伴い、より効果的なユーザー体験の提供が求められるようになりました。
今回のインタビューでは、弁護士ドットコム事業本部サービス開発部でWEBディレクターを務める長谷川大輔様を中心に、同事業部の名山貴彦様、プロダクトデザイナーの渡辺由依様にもお話を伺いました。
「当社のプラットフォームは、法律問題を抱える方々にとって、弁護士と繋がる最初の一歩を踏み出す入口です。その一歩をいかに踏み出しやすくするか。これは私たちにとって永続的な課題です」と長谷川様は語ります。
2024年7月、弁護士ドットコム様は、ユーザー体験の改善とデータに基づく意思決定の強化を目指し、ABテストツール「VWO(Visual Website Optimizer)」を導入しました。法的サービスという専門性の高い領域において、どのようなデジタル戦略が効果的なのか。仮説検証を通じた地道な取り組みが始まったのです。
「二割司法の解消」という社会課題に対して、単なる思い込みや経験則ではなく、実際のユーザーデータに基づいたアプローチで挑む同社の挑戦。VWO導入から8ヶ月が経過した今、その取り組みについて詳しく伺いました。
目次
VWO導入の意思決定プロセス
弁護士ドットコム様がABテストツールの導入を本格的に検討し始めたのは、Googleオプティマイズの提供終了がきっかけでした。「他社も一緒だと思いますが、Googleのオプティマイズが2023年9月に提供終了になると発表されたときに、我々も無料で活用していたABテストをどうするか考える必要がありました」と当時を振り返ります。
同社では、「オプティマイズは無料で使えていたこともあって、急にコストをかけるのもどうなのかという議論もありました」
まずは無料で使えるABテストツールを探してみることに。しかし、「日本語のサポートがない」「エンジニアの実装・運用コストがかかりすぎる」などの課題があり、「ツール自体は無料でも、稼働工数がかかるので実質無料ではない」という結論に至ったそうです。
そこでGoogleが推奨していた3ツールの中でVWO(Visual Website Optimizer)に注目し、調査を開始。「すぐにギャプライズさんが出てきて、他社への導入実績もあり連絡してみました」と経緯を説明します。
ツール選定にあたっては、複数の代理店やABテストツール会社にも接触し、比較検討を進めました。特に重視したのは「操作性の分かりやすさ」「実装の容易さ」「分析機能の充実度」「コストパフォーマンス」だったといいます。
「特に施策のPDCAを早く回すためにも上流側のディレクターやデザイナーが直感的に操作・テストの実施できるツールである点が重要でした」
VWOを選んだ決め手としては、主に3つのポイントを挙げています。「まず、過去のGoogleオプティマイズのテスト結果との比較ができるよう、ベイズ統計の手法を使っていることが重要でした」「次に費用面ですね。VWOはタグを埋め込んでテストを発火している、テスト対象のユニークユーザー数だけでカウントされるので、コストパフォーマンスがとても良かった」「操作性も直感的でわかりやすかった」とのことです。
特に流入数の多いメディアサイトとして、「全体の流入数ではなくテスト対象のみでカウントされる点」は大きなメリットだったようです。
運用体制については、「基本的な動き自体は変わらず、以前よりできることが増えた」と語られました。「ディレクターやデザイナーが直接UIを調整できるようになったことで、PDCAのサイクルは格段に早まりました」というご感想からも、部門の垣根を超えた連携体制を構築し、データドリブンな意思決定文化の土台が作られていったことが伺えます。
ABテスト成功事例
弁護士ドットコム様で実施されたABテストの中から、特に効果的だった施策についてお聞きしました。サービスの性質上、ユーザーが抱える悩みや不安を理解し、それを解消するための工夫が随所に見られます。
「VWOの試験導入直後に実施したテストで優位性が出た事例がありました。当時は入社して間もない時期ということもあり、客観的な視点で当時のメンバーはあたりまえだと思っていたコンテンツの配置を見直してみました」と渡辺様は話します。
シンプルな変更が予想以上の成果をもたらし、コンバージョン率が向上したとのこと。「実装コストをかけずにすぐテストできて結果が出せるという、ABテストの良さを実感でき、VWO導入を決める良い事例でした」と振り返ります。
一方、予想外の結果が出たテストの事例が語られました。「メインビジュアルの入れ変えの施策を試みたのですが、意外にも仮説とは逆のユーザー行動が発生した」と名山様は話します。仮説通りの結果ではなかったが、面白い結果が見れた事例とのことでした。
法律という専門性の高いサービスだからこそ、ユーザーにわかりやすく情報を伝え、不安を解消する工夫が求められます。弁護士ドットコム様のABテストからは、ユーザーの心理に寄り添いながらデータに基づいて改善を重ねる姿勢が感じられました。
組織体制とワークフロー
弁護士ドットコム様では、ABテストの実施にあたり、効率的なワークフローと部門間の連携体制を構築しています。「テストのアイデア出しはチーム内でディスカッションしながら進めています」と語られるように、常に新しい仮説と検証のサイクルを回し続ける姿勢が見られます。
「最近はABテストの知見が蓄積されてきて、上手に使いこなせるようになってきました。並行して複数のテストを回せるようになったのも成長の証です」と実感されているようです。
ABテストツール導入の大きなメリットとして、「大規模サイトということもあり、並びを変えるだけでも実装が大変でした。VWOだと簡単に入れ替えられて、しかも表示崩れもない」という利点があるとのこと。
このように、弁護士ドットコム様では部門横断的な体制でABテストに取り組み、データに基づく意思決定の文化を定着させる努力が続けられています。テストの実施から分析、そして次の施策への反映までのサイクルをスムーズに回すことで、継続的な改善を実現している様子には感銘を受けました。
法律サービスマーケティングの特殊性と対応
法律サービスのマーケティングには、一般的な商品やサービスとは異なる独特の難しさがあります。弁護士ドットコム様へのインタビューからは、その特殊性と対応策について具体的な取り組みが明らかになりました。
制約の一つとして挙げられたのが、弁護士法やガイドラインによる表現の制限です。「弁護士法や広告に関するガイドラインがあり、過度な期待をいだくような表現はNGになっています」と説明されました。一般的なマーケティングであれば効果的な攻めた訴求も、法的な制約の中では実現できない難しさがあります。
こうした制約の中で、どのようにユーザーに伝えるか。弁護士ドットコム様では、信頼性と透明性を重視したコミュニケーション設計に力を入れているとのこと。
こうした法律サービス特有の課題に対して、ABテストを通じたデータ駆動型のアプローチで解決策を模索する弁護士ドットコム様の取り組みは、法律サービスのマーケティング全体にとっても貴重な知見になるでしょう。
成果と今後の展望
弁護士ドットコム様でのVWO導入から8ヶ月間の成果について伺ったところ、特に印象的だったのは最初のテスト事例の成功です。前述の通り、コンテンツの配置を入れ替えるという比較的シンプルな施策が、コンバージョン率向上につながりました。
「入社して間もない時期に、試験導入直後のテストで優位性が出て、しかも実装コストをかけずにすぐ結果が出せた」という経験は、社内でのABテスト文化を推進する上で大きな追い風になったようです。
こうした成功体験を経て、現在では複数のテストを並行して実施できるほど、ABテスト運用のノウハウが蓄積されてきています。「社内でもABテストの知見が蓄積されていき、こういうテストをやってみましょうという提案も増えてきた」と語られるように、組織全体のデータ活用意識も高まっているようです。
今後チャレンジしたい領域としては、より深い行動分析と組み合わせたテスト設計が挙げられました。「Microsoft Clarityとの連携を活かして、ユーザーのヒートマップやスクロールマップ、行動パターンを分析し、より効果的なテスト仮説を立てていきたい」という声が聞かれました。特に過去に優位性が出なかったテストについても、ユーザー行動の詳細データを分析することで、新たな仮説と改善策を見出したいとのことです。
デジタルマーケティング戦略全体における位置づけとしては、「データドリブンな意思決定の基盤」としての役割が強調されました。ABテストを通じて得られた知見は、サイト改善だけでなく、メールマーケティングやコンテンツ制作など、他の施策にも活かされているとのこと。創業当時に掲げた「専門家をもっと身近に」という大きなテーマに向けて、データに基づく継続的な改善を進めていく決意が感じられました。
弁護士ドットコム様のこれからの取り組みからは、専門性の高いサービスだからこそ、ユーザー視点に立った丁寧な検証と改善の積み重ねが、真の意味での「二割司法の解消」につながるという示唆が得られました。
UI/UX推進担当者へのアドバイス
弁護士ドットコム様のABテスト導入と活用の経験から、これからABテストを検討している企業や、UI/UX改善を推進する担当者に向けたアドバイスも伺いました。
ABテストツール導入を検討している企業に対しては、まず「気軽に試せる」ことの重要性が強調されました。「気軽に試せて、その差分がすぐわかるというのはすごくいいツールだと思います」という言葉からは、仮説検証のハードルを下げることの大切さが伝わってきます。
ディレクターやデザイナー達で検証できる環境を整えることがPDCAサイクルの加速につながるとのこと。「結果がすぐにわかるということで反応や経験が早く蓄積できる。PDCAを早く回すというところはすごく大きな利点です」
データドリブンな意思決定を組織に浸透させるためのヒントとしては、小さな成功体験の積み重ねが効果的だと感じました。前述のように、弁護士ドットコム様でも最初の成功体験が、その後のABテスト推進に大きな弾みをつけたことが伺えます。
ABテストの結果を単なる数値改善だけでなく、ユーザー心理の理解につなげる姿勢も印象的でした。「なぜこの結果になったのか」を深く考察し、それを次の仮説に活かすことで、より本質的な改善につながるというメッセージが伝わってきます。
最後に、ABテストは「継続的な取り組み」であるという点も強調されました。一度や二度の成功で満足するのではなく、常にユーザーニーズの変化に合わせて検証と改善を繰り返していくことが、真の意味でのUI/UX向上につながるというビジョンが示されました。
弁護士ドットコム様の事例からは、「ユーザーファースト」の姿勢と「データドリブン」の方法論を組み合わせることで、どのような業界においても効果的なUI/UX改善を実現できるという希望が感じられました。
まとめ
弁護士ドットコム様が取り組むABテスト活用の事例は、専門性の高いサービスにおけるデジタルマーケティングの可能性を示す貴重なものでした。
「二割司法の解消」という大きな課題に対して、感覚や経験だけに頼るのではなく、実際のユーザーデータに基づいた検証と改善を積み重ねる姿勢は、あらゆる業界のUI/UX推進担当者にとって参考になるでしょう。
特に印象的だったのは、単なる数値改善を超えて、ユーザーの心理や行動の理解を深めるツールとしてABテストを活用している点です。法律相談という不安を抱えた状態で訪れるユーザーの気持ちに寄り添い、一つひとつの障壁を取り除いていく地道な取り組みこそが、真の意味での「二割司法の解消」につながることを教えてくれています。
また、ABテストの導入と運用においては、「気軽に試せる」環境づくりと、小さな成功体験の積み重ねが重要であることも浮き彫りになりました。マーケティングやデザインの担当者が主体的に仮説検証できる仕組みが、PDCAサイクルの加速と組織文化の変革につながっています。
VWO導入から8ヶ月という比較的短い期間でも、コンテンツ配置の最適化によるコンバージョン率向上など、具体的な成果が出ていることも注目に値します。こうした成功体験が、さらなる挑戦と組織全体のデータ活用意識向上に寄与していることが感じられました。
今後は、より深い行動分析と組み合わせたテスト設計や、パーソナライゼーションといった先進的な取り組みにも挑戦していくとのこと。専門性の高いサービスだからこそ、個々のユーザーニーズに合わせた最適な体験提供の可能性が広がっていると言えるでしょう。
弁護士ドットコム様の取り組みは、「データドリブン」と「ユーザーファースト」という二つの軸を組み合わせることで、どんな業界でも効果的なUI/UX改善が可能であることを示しています。ABテスト導入を検討している企業や担当者にとって、この事例が一つの指針となることを願っています。

今本 たかひろ/MarTechLab編集長
料理人→旅人→店舗ビジネスオーナー→BPO企業にてBtoBマーケティング支援チームのPLを4年半経験し、2023年2月よりギャプライズへジョイン。フグを捌くのもBtoBマーケティングを整えるのも根本は同じだという思考回路のため、根っこは料理人のままです。家では猫2匹の下僕。虎党でビール党。